
現在の長崎県は、明治維新までは幕府直轄地としての天領と、佐賀、大村、島原、平戸、福江、厳原の諸藩に分かれていました。
慶応4年2月長崎裁判所が幕府直轄地に設置され、
同年5月名称を長崎府と改め、さらに翌明治2年6月版籍奉還の断行によって各藩主を藩知事とし、同時に長崎府を長崎県と改称されています。
日本一、島の多い県としても知られています。
鎖国中の江戸時代において、唯一外国の文化と接することの出来た場所が、長崎の出島です。
1865年、浪士結社である貿易結社「亀山社中」が、
坂本龍馬を中心として結成されました。
後の「海援隊」です。

長崎氏は桓武平氏千葉流(九州千葉氏)の流れを汲む氏族であり、長崎県の名の由来になったことで知られています。
現在の長崎県庁舎付近の長い御崎に館を構え、長崎港界隈の深堀から時津までの広い範囲を領していた九州千葉氏の一族が九州長崎氏を名乗ったことを起源とする説と、
北條氏が新田義貞の軍勢に鎌倉を襲われて滅ぶと、
代々伊豆国田方郡長崎村を領し、その地名を苗字として、鎌倉の執権である北條氏の執事をつとめていたことのある長崎氏の一人が九州に流れ(九州長崎氏)、長崎湾の奥を領して地侍になったと長崎甚左衛門純景がその系図で主張している説があるそうです。
昔の日本で、異国を体験できた唯一の場所でした。
いろんな歴史が詰まっており
大変興味深い町です。


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